ペスタロッチ~近代教育の父~

ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ。日本の教育界に大きな影響を与え、ペスタロッチの死後も、彼に関する本は日本人によってたくさん著されています。ペスタロッチといえば彼の著作『隠者の夕暮』を記憶している人も多いのではないでしょうか。近代教育の父とも呼ばれている彼の生い立ちや著作、そしてどのような教育法を唱えたのかをまとめました。保育士試験によく出る、著作名と共にチェックしていきましょう。
平成28年度 前期【教育原理】問4

知的観点においては、基礎陶冶の理念は、その教育原則を「生活が陶冶する」という全く同じ言葉で言うことができる。道徳陶冶が本質的にわれわれ自身の内的直観から、 すなわちわれわれの内的本性に生き生きと語りかける諸印象から出発するのと同様に、精神陶冶はわれわれの外的感覚に語りかけ、活気づける対象の直観から出発する。自然はわれわれの感覚の印象全般を、 われわれの生活に結びつける。 われわれの外的認識すべては、その生活の感覚の印象の結果である。

1.コメニウス(Comenius, J.A.)
2.ルソー(Rousseau, J.-J.)
3.ペスタロッチ(Pestalozzi, J.H.)
4.フレーベル(Frobel, F.W.)
5.デューイ(Dewey, J.)

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ペスタロッチの生い立ち

ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ。スイスの教育実践家・思想家と呼ばれている彼は、1746年1月12日にスイスのチューリッヒに次男として生まれ、1827年2月17日にスイスのアールガウ州ブルックで生涯を終えました。市長を出したことのある家系に生まれたペスタロッチでしたが、牧師であり外科医の父は、彼が5歳の時に亡くなり、母親と使用人によって育てられたため、決して裕福な暮らしではありませんでした。

大学進学後の志し・専念業

牧師であった父の影響を受けたのでしょうか、彼は牧師を志し、チューリヒの大学に進学しますが、愛国主義的な運動に関与したことが影響して、退学を余儀なくされました。
彼はルソーが著した「エミール」を読み、それに影響を受け農業経営者と教育者を志すことになります。

彼が20代半ば(1771年)の頃、アールガウ州ビル村に土地を買い、ノイホーフと名付けた農園を作ります。しかしノイホーフは2年半ほどで経営に行き詰まり、廃業に追い込まれました。農業経営と同時に経営していた貧民学校も閉鎖に追い込まれることに。その後、彼は著作業と教育業に専念することになるのです。

著作『隠者の夕暮』が1780年、『リーンハルトとゲルトルート』(全4巻)が1781年から1787年ですから、ちょうどこの頃に彼が著したということになります。

孤児院への任務

1789年から約10年間、フランス王国で起きたフランス革命の影響がスイスにも及び、スイスでの革命では、たくさんの孤児が出ました。孤児たちに無償で奉仕したい、ペスタロッチの教育への熱い想いから孤児院を任されることになりました。しかしこの施設も半年で閉鎖。その後体調を崩した時に書いたとされるのが『シュタンツだより』です。このシュタンツだよりには、具体的に彼の教育思想や方法が描かれています。

その後も彼は教員養成のためのイヴェルドン学園を開いたり、女子学校や聾唖学校を創ったりするなど、教育界に大きな影響を与えました。彼に影響を受けたとされるフレーベルも、彼が開いたイヴェルドン学園で学んだ人物です。

後の教育界に大きな影響を受けたのは、彼がこれほどまでに教育に対して情熱を注いでいたからなのかもしれませんね。あの倉橋惣三もペスタロッチの影響を受けたと言われていますし、彼の没後も彼に関する著作は数多く出ています。

倉橋惣三~大正、昭和初期に活躍した児童心理学者≫

ペスタロッチの著作

著作家としても活躍したペスタロッチの主な著作は以下の通りです。

「隠者の夕暮れ」
Die Abendstunde eines Einsiedlers.
(1780)
冒頭では、「王座の上にあっても、木の葉の屋根の陰に住まわっても本質において同じ人間」と著し、全ての人間は生まれながらに平等」であることを唱えました。
「リーンハルトとゲルトルート」
Lienhard und Gertrud.4 Bande
(1781-1787)
貧困が、民衆の問題であり、そのためには貧困から救済するために教育が必要だと唱えています。
「立法と嬰児殺し」
Gesetzgebung und Kindermord.
(1783)
スイスで2人の少女が嬰児殺しの罪で処刑されたという事件に対してのペスタロッチの考えが著されています。
『探求』
Meine Nachforschungen uber den Gang der Naturin der Entwicklung des Menschengeschlechts
(1797)
仮設として3つの人間の状態を挙げました。
1.堕落的ではない自然人と堕落的な自然人に分けられる自然状態の人間
2.社会的状態の人間
3.道徳的状態の人間
この3つの根本力への教育が人間教育に通じるとし、この中で、道徳的状態の人間にすることが最終目的であると述べています。
『ゲルトルートはいかにその子らを教えるか』
Wie Gertrud ihre Kinder lehrt
(1801)
著作の中で、「善悪についての言葉の説明を、日常の家庭的な場面や環境と結びつけるようにしなさい。十分にそれらに基づいているかに留意しなさい」と述べ、彼の人間教育についての思想を唱えています。
『白鳥の歌』
Schwanengesang
(1825)
人間は3つの根本力を持っていると著しています。
1.心情的根本力
2.精神的根本力
3.身体的根本力
生活が陶冶するという名言を残したのもこの著作です。

この他の著作としては、

  • 『クリストフとエルゼ』
    Christoph und Else.
    1782
  • 『然りか否か』
    Ja oder Nein?
    1793
  • 『人類の発展の歩みについての私の探究』
    Meine Nachforschungen über den Gang der Natur in der Entwicklung des Menschengeschlechts.
    1797
  • 『寓話』
    Fabeln.
    1797
  • 『我々の時代と私の祖国の無垢と真面目さと高貴さについて』
    An die Unschuld, den Ernst und den Edelmut meines Zeitalters und meines Vaterlandes.
    1815

などがあります。著作名だけでも覚えておきましょう。

ペスタロッチの教育思想

●どんな境遇でも平等である

ペスタロッチが初めての著作、『隠者の夕暮』で著した「王座の上にあっても木の葉の屋根の陰に住まっても同じ人間」という言葉は、彼が貧民の子ども達に孤児院で一生懸命教育した背景からもわかるように、どんな状態、境遇の人間でも平等であり、尊い存在であるという考えを象徴しているのではないでしょうか。

●生活が陶冶する

著作『白鳥』では、生活が陶冶するという言葉を残しています。
陶冶とは、(陶器を造ることと、鋳物を鋳ることから)人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること。人材を薫陶養成すること。「人格の-」(広辞苑 第六版)

という意味がありますから、「生活が陶冶する」とは、生活そのものが人間を発達させるということを意味します。亡くなる2年前という晩年に著した言葉は、彼の教育に対する想いの集大成であったのではないでしょうか。

当たり前のことのようにも感じますが、まず母親との生活の中で教育が行われ、徐々に広がっていく生活範囲や人間関係、社会生活等、生活そのものが人間を成長させると述べているのですね。やみくもに生活をしていればいいというものではなく、それは子どもにとって教育的な生活でなくてはなりません。

●直観教授、直観のABC

ペスタロッチは直観こそが思考力の発達や言語獲得の基礎となると解きました。直観教授という言葉でも有名ですね。

直観教授とは、子供の経験や自発性を重んじ、実物や絵画・模型・写真などを用い、感覚に訴え学習の促進を図る教授方法。F.ベーコン・コメニウスらを先駆とし、ペスタロッチらが提唱。実物教授(広辞苑 第六版)という意味があります。

また彼は、直観を構成する要素を直観のABCとして、「数」、「形」、「語」の3つを示しました。この3つの基礎的部分を学習することが重要であると説き、具体的な教授方法を示しました。彼の直観教授は、1800年ごろに「メトーデ」という教育方法として確立されました。



ルソーの教育思想を受け継ぎ、フレーベルやヘルバルトにも影響を与えたペスタロッチ。子ども達の直観や自発性を大切にした思想は、日本の教育にも受け継がれています。挫折も多かった人生のようですが、教育に全てを捧げたと言っても過言ではないでしょう。ペスタロッチに関する本はたくさん出版されています。保育士として、保育を志す者として、更に知識を深めてみるのも良いかもしれませんね。